神々しいほどの美少年ぶりが際立つ「ベニスに死す」


初見ではおそらく内容を掴みきることができないと思います。ただ、この映画に関しては細かな内容よりもタッジオの美しさのみを感じられれば十分と言えるほどの美がほとばしっています。とはいえあとからでも内容について理解できれば面白さが増すので紹介してみます。

ストーリーらしいストーリーはないと言っていいので、ネタバレありで記します。
原作の背景なども触れるので、予備知識として知りたくない人はご注意ください。

あらすじ

作曲家のアッシェンバッハは心臓を患い療養のためにベニスに訪れる。
ホテルで過ごす彼はポーランド人の上流階級家族を目にする。
中でも長男のタッジオの美貌に釘付けになるアッシェンバッハ。
既婚者であるアッシェンバッハは自分の想いに戸惑う。
そんな彼を翻弄するように、タッジオは視線を投げ、ビーチで若いエネルギーを発散させる。
耐えきれずアッシェンバッハはベニスを去ることにする。
しかし、手違いから荷物が誤送されてしまったと知るや、神の思し召しとばかりにベニスへと取って返す。

作曲家として、また指揮者として名を成し、美しい妻と可愛い娘と暮らしていたアッシェンバッハだが、娘の突然の死に打ちのめされ、彼の指揮に聴衆はブーイングを浴びせ、若い仲間からはあからさまな批判を受ける。
ベニスの地でタッジオの姿を追いながら、そんな日々を断片的に思い出しているアッシェンバッハだった。
そんな時、彼は町の異臭に気がつく。
見れば、男が街中を消毒して回っている。
だが、ホテルの支配人や流しの楽団員に声をかけても、何かを隠しつつ真相を教えてはくれない。
実は、東南アジアからのコレラがベニスに上陸して猛威を振るっているのを、観光業にダメージを与えるわけにはいかず街ぐるみで隠蔽していると教えてくれる銀行家。

タッジオを守るため、アッシェンバッハはタッジオの母親に真相を告げる。
翌朝、ベニスを発つ前にビーチで遊ぶ一家を眺めるアッシェンバッハの心臓は限界に達している。
そして、美しいタッジオを眺めながら彼は目を閉じる。

原作小説「ヴェニスに死す」

この映画にはセリフというセリフがほとんどありません。
概念的な芸術論がいくつか交わされ、モノローグが入る他は、数えるほどのやり取りしかありません。
ですから、主人公であるアッシェンバッハが療養でベニスに来ている以外の状況がほとんどわかりません。
ただ、圧倒的なタッジオの美しさがあり、少年に心奪われる様子が続くのです。

映画「ベニスに死す」の原作はトーマス・マン「ヴェニスに死す」です。
原作が書かれた背景を知ると、映画の意味がわかってきます。

ダーク・ボガードの演じた作曲家はその名をグスタフ・フォン・アッシェンバッハと言います。
この名は実在の作曲家であり指揮者であったグスタフ・マーラーから取られていて、名前だけでなく彼をモデルとした小説になっているのです。
マーラーは音楽家ですが、小説の主人公は作家に変えられています。


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マーラーというモデルとトーマス・マン

グスタフ・マーラーは子供の頃から音楽の才能があり、彼の親はマーラーを音楽留学させています。
見事に期待に応えて有名な交響曲をいくつも書いたマーラーは41歳の時、23歳の若き作曲家のアルマと結婚します。
長女マリア・アンナと次女アンナ・ユスティーネが生まれましたがマリア・アンナは幼くして病死してしまいます。

実は結婚前にホームグラウンドであったウィーン・フィルハーモニーの指揮が酷評されるなど、私生活や音楽活動はまさにアッシェンバッハのモデルとなっています。
さらに50歳で心臓の病気である感染性心内膜炎になり、闘病わずか3ヶ月ほどで敗血症にかかって亡くなってしまいます。


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マーラーと主人公のアッシェンバッハはかなりの類似性があるものの、タッジオとの関係はマーラーがモデルではありません。
この美少年との出会いは作者であるトーマス・マンの実体験が元になっています。

トーマス・マンは1875年にドイツ帝国で生まれ、作家となったあとは「ブッデンブローク家の人々」「魔の山」などの傑作を書き上げ、1929年にはノーベル文学賞を受賞しています。
1914年におきた第一次世界大戦のあと、ドイツではナチスが勢力を拡大していき、これに反発する形で亡命してチェコ国籍になり、のちにアメリカに渡っています。

それ以前、1910年にマーラーの交響曲を聴き交友関係を得たものの、1911年にマーラーが亡くなり、「ヴェニスに死す」を書き上げることになります。
同じ年の執筆前、マンはヴェニスを旅行してタッジオのモデルとなる少年と出会います。

タッジオ

現在の日本では都市名などをその国の言葉に近づけて表記することが増えています。
ヴェニスも現在ではヴェネツィアと呼ばれることが増えています。

さておき、水の都として知られるヴェネツィアを旅したトーマス・マンは、ここで小説内のタッジオのモデルとなったポーランド人で10歳の美少年ヴワディスワフ・モエスと出会います。
貴族の出であるヴワディスワフは成人後は男爵となることが運命付けられています。

トーマス・マンはこの美少年に心を奪われ、アッシェンバッハさながらに滞在先で見つめていたと言います。
ヴワディスワフ少年はこの男トーマス・マンのことを覚えていて、のちにモデルとして名乗り上げたため、現在はヴワディスワフ本人の少年時代の写真を見ることもできます。

確かにヴワディスワフは美少年であったものの、映画「ベニスに死す」でタッジオを演じたビョルン・アンドレセンの美少年ぶりは群を抜いています。セリフがほとんどなくストーリーは難解と言っていい映画を2時間10分も観ていられるのは、ひとえにビョルン・アンドレセンの美しさがあるからです。

アッシェンバッハが仲間と芸術や美について議論する場面で、自然の創り出す美に懐疑的だった彼をして、このタッジオ少年の存在から人工的に創り出す芸術では太刀打ちできない美の存在を思い知ることになるのです。

映画の中の美少年としては「ターミネーター2」エドワード・ファーロングがよく知られています。
アメリカ以上に日本での人気が沸騰したものの、薬物依存になるなど、成長の過程では苦労がありました。

ビョルン・アンドレセンもやはり日本で熱狂的なファンを生みましたし、世界的な人気となったことで、数年は私生活に苦労したようです。
やがて落ち着いた生活を取り戻したビョルンは結婚して子供も生まれ、60歳を超えた現在もテレビや映画の世界で俳優として活動しています。


ブロマイド写真★映画『ベニスに死す』(ビョルン・アンドレセン)

さらなるリアルな出来事

原作小説では作家のアッシェンバッハですが、映画では作曲家に変更されて、よりモデルとなったマーラーに近づけてあります。
映画の中では主にビーチの様子が描かれていて、一般的に想起するヴェネツィアの運河やゴンドラの様子がほとんど登場しません。
これは映画の舞台が本島ではなくリード島だからです。

全編を通して主人公が見た夢かと思うような幻想的な雰囲気の映画です。
今で言うBL系の物語には違いないものの、耽美的というよりは芸術的な美の追求が描かれています。

最後に、映画の中で不気味に隠蔽されるコレラについてですが、これもまた本当にあったことです。
シロッコと呼ばれるアフリカからの風は高温多湿で、これに乗ってコレラがやってくると映画内で語られています。
1910年から11年にかけてナポリでコレラが大流行した時、国際的な印象が悪くなることを恐れたイタリア政府はこれを隠蔽しました。
シロッコが北から南へ吹く中で、まずヴェネツィアに、そしてフィレンツェ、ローマを通り、ナポリへと到達したのです。

こうした病の隠蔽は、現在の中国からの病の状況を彷彿とさせます。

さておき、主人公のモデルはグスタフ・マーラー、タッジオはヴワディスワフ・モエス、そしてコレラの隠蔽と、限りなく実話に基づいたフィクション、それが「ベニスに死す」なのです。

ちなみに、小説は「ヴェニスに死す」、映画は「ベニスに死す」というように日本語版では表記を変えてあることがあります。
さらに蛇足として、「ヴェニスの商人」とタイトルを混同する人もいるかもしれませんが、これはウィリアム・シェイクスピアの手による全く別の作品です。

作品情報

原題:DEATH IN VENICE / MORTE A VENEZIA(1971)
監督:ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)
出演:ダーク・ボガード(Dirk Bogarde) ビョルン・アンドレセン(Björn Andresen)

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