「運び屋」のモデルになった老人の数奇な人生とは


「運び屋」は、イーストウッドの真骨頂ともいうべき、実話をベースにした映画です。90歳になる老人が記録的な麻薬を運んでいたのです。90歳になる老人が記録的な量の麻薬を運んでいたという驚きのストーリーです。
カルテルとの大げさな銃撃戦が起きるようなアクション映画ではありませんが、目を離すことができず老人の世界に引き込まれていきます。

実際の出来事が元になっているのであらすじや事実関係など、ラストまでネタバレありで紹介しています。鑑賞前に知りたくない人はご注意ください。

あらすじ

デイリリーの生産者で賞にも輝くアール・ストーンだが、仕事中心の生活で娘アイリスの結婚式にも出ないなど、妻のマリーとアイリスからは嫌われて疎遠になっており、唯一孫娘のジニーだけが味方だった。
順風満帆に思えたデイリリーの商売も、インターネットを使わないアールは時代に取り残され、数年後に農場は差し押さえられてしまう

同じ頃、ジニーの結婚の前祝いの席でアールは運搬の仕事の誘いを受ける。
デイリリーの販売で全米中を旅しながら無事故無違反で過ごしてきた運転の腕を買われたアールは、ただ荷物を運ぶだけで大金を得る。
やがて彼は運んでいるものがコカインであると知るのだが、大金を得て仲間や孫娘の信頼も得た彼は運び屋を続ける。


デトロイトの麻薬取締局にやってきたコリン・ベイツは、麻薬カルテルを潰そうと捜査を続けるが大きな成果を上げることができない。
半ば強引に内通者を得たベイツは、飛び抜けて大きな運搬を成し遂げている人物の存在を知る。
その人物が黒のピックアップトラックを使っていることまでは掴んだものの、検問では空振りが続く。

持ち前の人柄でカルテルのメンバーとも仲良くなったアールだが、カルテル内の権力争いでボスが代わったことによって、これまでのように自由な仕事ができなくなる。
そんな時、妻のマリーが余命わずかと連絡を受ける。
大きな運搬の最中だったアールだが、引き返して看病にあたる。ようやく妻と娘とも和解できたものの、組織は行方をくらました彼を躍起になって探していた。
カルテルがアールを探していることを察知したベイツのチームは、同じくアールを見つけることで組織に迫ろうとしていた。

妻の葬儀を終えて仕事に戻ったアールは組織の制裁を受けるものの、これまでの人柄も考慮され運び屋を続けることなる。
しかし、彼の動向はベイツに察知されており包囲網が敷かれる。

逮捕されたアールは裁判を争うことなく、刑務所へと入るのであった。

実際に起きたことは

このところはほぼ一貫して実話系のストーリーを映画化している、監督としてのクリント・イーストウッドです。
齢90という中で、まさに円熟味の溢れる作風となっています。

今作では主演も兼ねているのですが、主人公アールのモデルとなった1924年生まれのレオ・シャープも90歳でドラッグの運び屋をしていました。
映画のラストで記されている通り、この物語はニューヨーク・タイムズに掲載された記事が基になっています。
現実にあった逮捕劇であり、映画はかなり忠実に実話を再現しています。
ただし、映画の主人公は別の名になっていますし、あくまでもインスパイアされたストーリーとの位置付けになります。

ここでレオ・シャープの秘密の副業について、原案の記事「The Sinaloa Cartel’s 90-Year-Old Drug Mule」から紐解いてみます。

デイリリー生産者

映画にある通り、レオ・シャープの本業はデイリリーの栽培と芽の販売です。
もっと若い頃、ミシガン州のデトロイトに育ったレオ・シャープは第二次世界大戦に陸軍兵士として参加しました。
彼が所属した第88師団はイタリア戦線を主戦場として1944年の2月にナポリに入った後、北へと進んでいきます。
翌45年の5月にはイタリアでの主な戦闘を終え、アルプスの先、オーストリアのインスブルックに入り終戦を迎えました。

戦後、デイリリーの生産を仕事にします。
デイリリーとは言うものの、百合ではなく、代表的な種は和名でワスレグサと呼ばれるものです。
これもややこしいのですが、いわゆる忘れな草とは全く別のものになります。
デイリリーは比較的簡単に掛け合わせ配合による新種を作ることができ、一説には8万種近くが確認されているとも言います。
レオの傑作とされる Ojo Poco と名付けられた花は、1994年にハイブリッドされました。
翌1995年には24種を発表したようですから、いかに精力的にデイリリーの生産をしていたかがわかります。

これらの種をレオは紙のカタログで発表して販売につなげようとしていたものの、時代はインターネットの勃興期にあたり、頑なにネットを拒んだレオのファームの業績は悪化していきます。
これは映画でも描かれています。

麻薬カルテルとの仕事

映画では一度農場などの差し押さえを受けたことでドラッグの運び屋に足を踏み入れることになっていますが、実際に手を染めたタイミングはよくわかっていません。
デイリリーの生産に心血を注ぎながら、なぜ運び屋になったのでしょうか。
以前からメキシコの農場とデイリリーを介した関係があり、その流れで運び屋の話を持ちかけられたのではないかというのが有力のようです。
レオが関わっていたのはシナロア・カルテルと呼ばれるドラッグの組織です。

2010年の時点で、デイリリー愛好家の間ではまだレオの名はよく知られていながら、すでにカルテルとの仕事をしていたと言います。
この時点で運んだコカインの総量は1100キロに上り、キロ当たり1000ドルという相場に照らし合わせれば、1億円以上を稼いでいたことになります。
映画の中で、報酬としてもらった封筒の中の札束に驚く描写がありますが、そこでは具体的な数字は出てきません。
例えば、彼が一度に運んだ量としては100キロということがあったので、封筒には1000万円が入っていたことになります。
これは驚きます。
2010年はまさに荒稼ぎの年で、2月から6月にかけて月間200〜250キロを運んでいます。わずか半年に満たない間に1億円超を稼いだのです。

カルテルでは彼をお爺さんという意味のエル・タタと呼んでいました。
このコードネームはある時期から麻薬取締局も掴んでいたものの、まさか90歳になろうかという老人そのままとは思わなかったことでしょう。

デトロイト麻薬取締局

日本には、警察内の組織犯罪対策部に薬物銃器対策課があります。
これとは別に厚生労働省の地方厚生局に麻薬取締部があり、麻取と略されています。
覚醒剤と麻薬は適用法律の違う危険薬物ですが、ここではその詳細は省きます。
芸能人がクスリで逮捕されたニュースを見ていると、警察と麻取のどちらが捕まえたのかがわかります。

レオが仕事をしていたカルテルを追っていたのは、彼の地元であるデトロイトの麻薬取締局(Drug Enforcement Administration)で、D.E.A. あるいは DEA と略されます。

ブラッドリー・クーパーの演じた捜査官コリン・ベイツのモデルとなったのは、このデトロイトのD.E.A.に属する特別捜査官ジェフ・ムーアで、この時40代の前半という若さでした。
交通整理などをする一介の警察官からドラッグの捜査官になり、髪や髭を伸ばした風貌で身分を隠して、時にはドラッグのパイプも吸って見せるなどしながら街に溶け込んで捜査をしてきました。
潜入捜査は危険で、失敗して銃を突きつけられたこともありました。
そして、いよいよチームのリーダーとなり、巨大な組織に挑みます。

シナロアカルテルはメキシコに拠点を持ち、エル・チャポの通り名を持つホアキン・グズマンがボスの組織でした。
ムーアのチームは数ヶ月かけて電話の盗聴を続けるなど、地道に捜査をしていきます。
決定的な証拠が入り始めるのは、内部に密告の協力者を得てからです。

ラモン・ラモスは証人保護プログラム入りすることを条件に情報を提供し始めます。
彼の情報によって逮捕された中には、60歳近い障害者の運び屋もいました。
このオグデンという男の場合、障害だけでなく心臓の疾患で4度も発作を起こすなど、やはりとても運び屋とは思えなかったことでしょう。

そしてついにタタと呼ばれる男、つまりレオ・シャープの情報がもたらされます。
ムーアはレオ逮捕のひと月前、最初に情報を得てラモスとレオが会っているのを監視しています。
二人は玉ねぎについて会話をしていて、ムーアたちはこれが何かの暗号コードかと思いましたが、本当に単なる玉ねぎの話題だったと言います。

人生の終焉

ピックアップと呼ばれるごく普通のトラックでコカインを運んでいたレオ・シャープは、2011年10月21日に、情報から緊急配備されたムーアのチームによって逮捕されました。
90歳であり、裁判では弁護士が痴呆症を主張しています。
刑の軽減が目的ではありますが、実際のところ重篤ではなくとも症状は見受けられたようです。

また、映画では妻の看病で仕事をサボる形になって、カルテルに制裁を受けます。
実際にも彼が仕事を辞めたいと申し出ても、重要な運び屋となった彼を手放したくない組織に脅されていたようです。

戦争の功労者であり、先の短い老人であるとはいえ、有罪を免れることはありませんでした。
レオは、結審から2年後の2016年12月12日にこの世を去りました。

おまけ

主人公アールの娘アイリスを演じているのは、クリント・イーストウッドの実娘であるアリソン・イーストウッドです。
彼女はこれまでも「目撃」「スペース・カウボーイ」などのクリント・イーストウッド作品に出演しています。

蛇足ながら、イーストウッドと同じくウィル・スミスも自分の関連作品に子供を出演させることがあります。

「運び屋」のオリジナルタイトルは「THE MULE」で、これは荷物を運ぶラバのことであり、転じて麻薬の運び屋を指すスラングとなっています。

作品情報

原題:THE MULE(2018)
監督:クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)
出演:クリント・イーストウッド(Clint Eastwood) ブラッドリー・クーパー(Bradley Cooper)

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