簡単に意味を見出すのは難しい物語です。非現実的な中で日常を過ごすため、すべてがぼんやりとした印象を受けます。それこそが彼岸の世界なのかもしれません。
あらすじはラストまでネタバレありで記しています。視聴前に内容を知りたくない人はご注意ください。
あらすじ
ピアノを教えて生計を立てている瑞希(深津絵里)の元に、3年ぶりに夫で医師の優介(浅野忠信)が帰ってくる。
しかし、優介はすでに死んでいると言い、瑞希もそれを理解している。
精神的な発作から入水自殺した優介。
彼は瑞希を誘って、家に戻るまでの3年間で世話になった人たちを訪ねることにする。
瑞希はこれまでに祈願書を100枚書いて優介の無事を祈っていた。
帰りたくなったらそれを燃やせばいいと言う優介。
最初に会いに行ったのは新聞屋さんの島影(小松政夫)という男性。
島影は自分が死んだことに気がついていないと優介は瑞希に話す。
仕事の合間に、花の写真や絵ばかりを切り抜いている島影。
夜、酔った島影を寝かしつけた優介と瑞希は、寝室の壁一面に貼られた花の切り抜きを目にする。
翌朝、瑞希が目覚めると、新聞屋は何年も前から放置されていた状態に荒れ果てていた。
島影が寝ていたはずのベッドも空で、壁には薄汚れた花の切り抜きが残されているのだった。
次に向かった町で、優介は瑞希を食堂に連れていく。
優介は瑞希の元へ戻るまでしばらくの間、その食堂で餃子を作っていた。
お店を営む神内(千葉哲也)とフジエ(村岡希美)の夫婦は普通に生きて生活している。
心地よい日々に、この町で優介と暮らしていきたいと願う瑞希。
フジエには年の離れた妹がいたが、幼い頃に死んでいた。
その妹がフジエと瑞希の前に姿を現し、思い出のピアノを弾き終わると成仏する。
町を離れた優介と瑞希はバスの中で口論になり瑞希は東京に帰る。
口論の原因は、優介が病院の事務員と不倫していたことだった。
瑞希は、不倫相手である松崎朋子(蒼井優)に会いに行く。
失踪していた優介が帰ってきて二人で幸せにしていると告げる瑞希。
しかし、朋子も既婚者で、優介との不倫は退屈な日常の暇つぶし程度にしか思っていなかった。
やり場のない悔しさを感じる瑞希だが、再び優介と旅に出る。
二人が来たのは小さな村で、星谷(柄本明)という男の家で世話になる。
その村で優介は村人に色々な話をしてやっていて、先生と呼ばれていた。
村には言い伝えがあり、滝壷の洞窟があの世と繋がっていて死者がやってくるという。
星谷の息子のタカシ(赤堀雅秋)は旅先で死んだ。
タカシの嫁の薫(奥貫薫)は、子供を置いて夫を迎えにいったまま戻らなかったが、しばらくして突然に優介を連れて戻ってきたのだった。
村での生活がしばらく続いた頃、薫の元に死んだタカシがやってくる。
優介は初めに村にくる前に、薫と蘇ったタカシに会っていた。
その頃すでにタカシはおかしくなり始めていたが、今度はさらに凶暴になり、意識も途切れがちになっている。
死にたくなかったと告げて消えてしまうタカシ。
優介がこの世にいられる時間も短いと知った瑞希。
二人は村を離れ、海辺へとやってくる。
ちゃんと謝りたかったと言う優介に、瑞希は伝わったよと返す。
そして、優介はいなくなり、瑞希は持ってきた祈願書を燃やすのだった。
何を感じればいいのか
この物語は幽霊を受け入れるところから始まります。
優介の帰りをずっと待ち望んでいた瑞希は、だからこそ比較的あっさりと受け入れています。
作品を見ている側は、とりあえずそこに疑問を抱いていては始まりません。
登場する幽霊たちは、幽霊だと気づていない人にとっては生者そのものです。
お坊さんですら幽霊とは気づきません。
道具も普通に扱える幽霊は、餃子を焼いてバイトもしています。
この物語は、幽霊の存在そのものよりも、夫婦とは、家族とは、ということを解いていきます。
新聞屋の主人は、別れた妻や家族との日常が続くことを生前に願っていました。
食堂の妻は、歳の離れた妹が早逝したことに、負い目を感じて後悔しています。
村に現れる幽霊の男は、旅先で風邪を拗らせて死んでも、妻に未練を持って会いに来ます。
後悔を抱えているのは生者の側だけでなく、死者もまた後悔を抱えていることがあるのです。
後悔の原因が浮き彫りになって成仏しても、すべてが納得できるわけではありません。
ただ、これまでとは違う道へと一歩を踏み出すことができるのは大きなことです。
瑞希が見つけた答えはなんだったのでしょう。
優介と不倫していた朋子は、「夫婦の平凡な毎日、それ以上に何を求める」と言います。
優介は村での講義で、「無こそが全ての基本、無にも意味がある」と語りかけるのです。
宗教的な映画の洋邦
ハリウッドやヨーロッパの映画には、主にキリスト教の知識が一般常識として備わっていることを前提とした物語が少なくありません。
派手なアクションを楽しむような作品でも、対立の構図や、起因する価値観、報酬となるお宝など、宗教的な側面を知っていると理解しやすいものがあります。
キリストによる奇蹟や、天使と悪魔の存在、終末に関する黙示録といった物語がはっきりとしているところも映画向きといえます。
「インディ・ジョーンズ」や「ダ・ヴィンチ・コード」のシリーズだったり、「セブン」もかなり直接的です。
日本映画では、お坊さんを主人公とするものがある一方で、神道や仏教の神様や眷属とのエピソードに絡めた物語はあまり見かけません。
代わりに多いのが、死生観を扱った映画です。
天国で過ごすよりも、輪廻転生がベースとなります。
あるいは転生による復活でなければ、ひと時の邂逅として姿を現します。
もちろん、洋画にも生まれ変わりや、魂が誰かに乗り移ってというストーリーはあります。
そこから死の謎を追うようなミステリーにならずに、見終わった後に自らを省みて思いを馳せる物語の割合が邦画には多い印象です。
映画界のあるある
偶然か意図的かは謎ながら、しばしば似たテーマの映画が同時期に公開されることがあります。
火山噴火による都市部のパニックを描く「ダンテズ・ピーク」と「ボルケーノ」は1997年の2月と4月の公開です。
彗星の地球衝突というパニック映画の「ディープ・インパクト」と「アルマゲドン」は1998年の5月と6月に続けて公開されました。
また、昆虫の世界で蟻を主人公にしたCGアニメの「アンツ」と「バグズ・ライフ」は1998年の10月と11月に相次いで公開となっています。
こうして列挙してみると97年から98年にかけては、テーマ被りの映画の公開が被る状況が被るという、カオスなタイミングだったことがわかります。
「岸辺の旅」のように死者が現世に戻るというテーマの映画で、洋画と邦画の公開時期が近かった例もあります。
パトリック・スウェイジとデミ・ムーア出演の「ゴースト/ニューヨークの幻」は1990年の7月に全米公開されました。
そのひと月前、1990年の6月に日本で公開されたのが、中井貴一と牧瀬里穂が出演した相米慎二監督の「東京上空いらっしゃいませ」です。
作品情報
原題:岸辺の旅(2015)
監督:黒沢清
出演:深津絵里 浅野忠信
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