「バルタザールどこへ行く」のストーリーよ、どこへ行く


バルタザールという小洒落た名前をもらったロバのお話です。多分。
それというのも、『子猫物語』のようにロバについての話ではないからです。多分。
多分ばかり言ってるのは、なかなか不思議で、はっきり言うと少し難しい映画だったからです。話自体を理解することはできるのです。ただ、各エピソードが絡み合っているようで、ないようで、やっぱりよくわからないのです。
では、面白くないのかというと、これが結構引き込まれて見てしまいます。引き込まれつつも、登場人物への感情移入はさせてくれません。どんな話なのか、ラストまでを簡単に見てみましょう。

あらすじ

教師の娘マリーとひと夏の幼い恋に落ちたジャック。そして、小ロバのバルタザールがいた。マリーとジャックは将来の約束をして別れる。
それから数年後、美しく成長したマリーだが、広大な農園を継いだ父とジャックの父との関係悪化が絡んで、ジャックと距離を置くことになる。街の不良ジェラールに襲われるようにして付き合うこととなるマリーは、ジェラールにぞっこんになる。
荷車を引くようになったバルタザールはジェラールにいじめられ、身体を壊す。使い物にならなくなったバルタザールを引き取ったのは酒飲みの男アーノルドだった。酒を止められず酒乱となってバルタザールを虐めることもあるアーノルドは、莫大な遺産を継いで大金持ちとなった途端に死んでしまう。

市場で売られたバルタザールは臼を引く日々を過ごす。同じ頃、ジェラールに浮気されて愛想を尽かされたマリーは、家にも帰れず、バルタザールの主人のもとを訪れ、一夜を共にする。しかし、親が連れ戻しに来て、主人は娘だけでなくバルタザールも一緒に返す。
マリーのもとを訪れたジャックは、全てを抱えて一緒に生きていくことを誓うものの、マリーには受け入れられない。そして、マリーはジェラールたちに再び襲われ心を閉ざし、娘に悲観した父も命を絶つ。
ジェラールはバルタザールを連れ出して、密輸を企てるが国境警備隊に撃たれる。バルタザールもまた被弾して、羊の群れの中で息絶える。

映画の読み解き方

ストーリー的にはまとまっているようような、まとまっていないような、説明があまりない難解な部類に入るのは間違い無くて、おそらくは宗教観が関係していると思うのです。日本人は仏教ですら無縁になってきていて、ましてやキリスト教の考えとなると、聖書の表紙とか目次レベルの知識しかありません。
対して、洋画の中には聖書やキリスト教に関連するテーマやモチーフが混ざることがよくあって、そうした知識が前提になっていないと理解できないものがあります。そもそもの知識がないので想像でしかないながら、この映画もまた、見る人が見れば宗教観として理解しやすい作りなのかもしれません。
一見ばらばらに見えるエピソードも、裏に通されたテーマが見えていれば、決して難解でないことは珍しくないというわけです。

ロバは主役なのか

タイトルにもなっているバルタザールは、映画の最初から最後まで出ずっぱりです。バルタザールは主役なのかもしれませんが、一言も発しません。よく啼いていますし、物言いたげな顔が大写しになったりもして、感情豊かなロバではあります。
ただ、考えていることをナレーションにしてくれるわけでもなく、物言わぬロバに過ぎません。あまりいい思いをすることはなく、終始虐げられている感の強いのが可哀想だったりするものの、家畜なんてこんなものなのかもしれません。
バルタザールに対して芽生える感情を例えるなら、無農薬飼料で大切に育てられているという鶏が、鶏舎の床にぎゅうぎゅうな密度で生活しているのを見て、なんだかなあと言ったところで、今日も美味しく鳥の唐揚げを食べている口が言ってれば世話ないや、といったところです。偽善と言われても言い返せません。

さておき、映画はバルタザールの目を通して人間社会の何かを訴えかけようとしているのでしょうか。残念ながら私にはその真意はつかめませんでした。何かのメタファーになっているのかとも考えましたが、答えは見つかりませんでした。
今の時代、ちょっとネットを探れば、レビューや解説はすぐに見つかります。ひょっとしたらそうしたものを求めてこのページにたどり着いてくれた人もいるかもしれません。実際問題、映画を見た後は答えを知りたくて、ネットの力を借りようかとも思いました。
でも、はたと思い直したのです。この作品が言葉足らずなのは間違いありません。オリジナル作品で、原作は存在しないようですから、後付けの説明なしに、見たままを感じるのでいいのではないでしょうか。
バルタザールが何なのか、ここでの答えは、「幸せな時もあったけれど、全般的に不幸なロバ」です。神の目線を持つでもなく、さまよえる子羊の象徴でもないのです。それだけです。

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ロベール・ブレッソン監督

下調べなしに映画を見て、後で真意を探る作業を怠ることも少なくない私ではありますが、監督については気になったので少し調べてみました。

ロベール・ブレッソン監督は独特な演出方法が有名で、最たるものはプロの役者を使わないことです。芝居くさい演技を嫌っていたようで、演技経験のない人をキャスティングしていたのです。知らないで見てましたが、未経験とは思えない雰囲気を持った人たちが登場します。
クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』でも素人キャストを用いていましたが、この手法はネイティヴな言語を理解していないと会話の上手い下手がわからないと言えます。ただ、ブレッソン監督は説明過多を好まず、最低限のやりとりしかしないことから、しゃべりよりも佇まいが重要になるのはわかります。
また、写真と絵画でもプロだったことのある監督として、情景で描くのを得意とするようです。言わずもがな、ロバも動物プロの所属ではないのでしょう。そりゃそうだ。

結局みどころはどうなるの?

この作品、基本的に頭にくる人たちが出てきます。見てるこっちが勝手にイライラしてきてしまうわけですが、例えば、おそらくは主役であろう女性、マリーはバカです。
バカなどと失礼な物言いはしたくないのですが、自由奔放であるとか、天真爛漫であるとかのふんわりワードより、バカと言ってしまった方がしっくりきます。頭が悪いわけでもなく、考えを放棄してしまっているように見えて、やきもきします。魔性のバカです。
娘のことを心配している親に対して、「彼が好きなの、彼が死ねというなら死ねるの」みたいなことを言うシーンは、恋は盲目なんて言葉で片付けるにはあまりに腹立たしい世間知らずぶりでした。いくら1966年の作品だからとて、女をバカにしすぎてるんじゃないかと心配になったりもします。
繰り返しになりますが、断片的なエピソードの連なりは難解で、誰の心情を追えばいいのかもわかりづらく、すっきりはっきりわかりやすい作品でないのは確かです。だから、マリーの一途さは、むしろとってもわかりやすいステレオタイプな描写と言えなくもありません。
そんなマリー役のアンヌ・ヴィアゼムスキーは、この作品で抜擢されて女優デビューを飾ったのち、女優業を続けていくことになります。晩年はドキュメンタリー作品の監督になるなど、しっかりと映画界で生きていったのでした。

やや強引にまとめてしまえば、さながらロバの背に揺られるかのようにのんびりとしたペースで進みつつ、人々のドラマには目を離せない危うさのようなものが漂っている映画です。
色々な映画をバランスよく見ようと思うのなら、ハリウッドのドッカンドッカンと派手な作品のカウンターとして、こうした作品をおすすめしてみたいと思います。

作品情報

原題:au hasard balthazar(1966)
監督:ロベール・ブレッソン(Robert Bresson)
出演:アンヌ・ヴィアゼムスキー(Anne Wiazemsky) ウォルター・グリーン(Walter Green)

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