「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。」その理由は?

妻ふり
帰宅するたびに妻が死んだふりをしていたらどうしますか。初めは驚き、やがてスルーし、そして、いったい何故と疑問に思うでしょう。夫は少し考えてみます。でも、二人は幸せです。それでいいんじゃないでしょうか。

あらすじ

家に帰ると居間で妻のちえ(榮倉奈々)が倒れている。夫のじゅん(安田顕)は慌てて駆け寄るが、それはちえの死んだふりだった。それからも様々な趣向を凝らした死に方をしてみせながら、夫の帰りを待っているちえ。
同僚の佐野(大谷亮平)に相談して、プレゼントなどをしてみても妻の奇行は止まらない。不満などがあるなら直接言って欲しいと頼んでもはぐらかされるだけ。ちえが無邪気に見える一方で、じゅんにはモヤモヤとしたものが溜まっていく。
佐野の提案で食事会を開いたところ、ちえと佐野の妻の由美子(野々すみ花)は馬が合い友達付き合いが始まる。なんでもそつなくこなす佐野だが、真剣になるべきところもごまかされているようで由美子には不満だった。
じゅんはちえに気分転換させようと、パートを提案する。老人が一人で細々と営むクリーニング店でパートすることになったちえ。けれどもじゅんとの日常はなんら変わることがない。
子供ができないことで悩んでいた佐野夫婦は、気持ちのすれ違いを埋められず、離婚を決意する。じゅんは自分たちにも降りかかることなのかと不安になる。なぜ死んだふりや未来人などのふりをするのか、ちえの行動に夫婦の行く末が隠されている気がしてならない。
ちえの振る舞いを不満の表れと思っていたじゅんだが、ちえが繰り返す「月が綺麗ですね」の言葉の真意に気づく。そして、じゅんはちえを思い出の地に誘って話し出す。

SNSとコミックエッセイ

近年はコミックエッセイ、あるいは単にエッセイ漫画と呼ばれるジャンルが活況です。ジャンル自体は目新しいものではないものの、以前は長谷川町子さくらももこといった名のある作家が発表するエッセイ漫画が主でした。
現在のエッセイ漫画の主流は、同人に近いセミプロの手による作品です。中にはSNSに上げていたエッセイ漫画が目に止まり出版に至ったものも少なくありません。それどころか、ここのところは大多数がSNSやPxixvを源流としている気すらします。
こうした発表方法は究極の自主制作で、描いて上げればいいだけです。もちろん、読者を得るには内容の面白さが伴っていなければなりませんが、読者が少ないからといって大損することもありません。出版社も継続的な目で、内容的な質や作者の資質を見極めてから動けるメリットがあります。
実際は小難しいことよりも、他人のブログを読む楽しさを、文字よりも気軽に読んでいけるのがヒットの一因だと思います。SNS型のエッセイ漫画は必ずしもエッセイスト本人が漫画を書く必要はなく、作画担当が別になっているケースも多々あります。

エッセイ漫画と映画化

「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。」はエッセイでありながらも独特な空気感があって、どう映像化するかが難しかったと思います。実写で見せると、「ありえね~」となってしまいかねないからです。でも、勝手な心配は不要でした。家に帰って扉を開けた瞬間は突飛でも、その他で生活感が溢れているので、身近な存在に感じることができました。

映画化もされた「ダーリンは外国人」のシリーズは、異文化ギャップがベースになっていて、現在でも人気のエッセイジャンルです。文化の違いは日々の生活の中で様々現れますし、食や趣味などポイントを絞っても多くの差異が見て取れ、読み手もその違いに驚き笑い、楽しむことができます。
あるいは、やはり映画化された「すーちゃん」のシリーズは、日常の何気ない日々を淡々と描くリアリティに共感するタイプのものです。誰かに聞いてもらいたい愚痴などは、口にすると一時気分は晴れても、後々かえって辛くなる時があります。エッセイ漫画で一部でも共感できると、自分だけではなかったと少しホッとできたりします。
病いや症状と闘う日々を描くエッセイ漫画もたくさんあります。「ツレがうつになりまして。」もそうですが、大変な中にもくすりと出来る明るさを盛り込んだ作品が多いようです。

流行の言い回し

映画に限らず、小説や漫画など、後世に残っていくものは、少なからず発表時の時代の空気感がパッケージされています。簡単に言えば、時事ネタや流行語、ギャグなどが盛り込まれがちです。初めて世にでるとき、その時々の人に強く訴えかけなければヒットしないので仕方ないとはいえ、これが強すぎると2〜3年後にはむしろ恥ずかしい表現になっていたりします。
一方で、ある期間に特に流行る言い回しというのもあります。この場合、数年経っても色褪せにくい普遍性を備えているケースが多いのが特徴です。ただ、なぜか一時期の映画やドラマなどで頻発されながら、それ以降は熱が冷めたようにあまり使われなくなるのです。

2008年頃には、「明日世界が滅んだとしても、今日私は林檎の木を植える」というような言い回しがよく使われました。映画は製作から公開までタイムラグがあるので、テレビで使われて半年くらい経ってから見ることになるものの、作っていたのは同じ時期と思われ、きっとその頃に話題になったことがあるのでしょう。
2017年頃の作品に、「月が綺麗ですね」が I Love You の意訳であるとして使われることが多いのは、皇族の方の婚約会見で注目を集めたからだと思われます。この言葉はバリエーションとして「月が青いですね」とするものもあるようです。
林檎の木のエピソードも、月の表現も、実は出典がはっきりしていないという共通点があります。林檎はマルティン・ルターの言葉とされていますが、明確な証拠は提示されていません。同様に月のことは夏目漱石が言ったとされているものの、やはり確かな証拠は残っていません。

妻がなぜ死んだふりをするのか、それもまた確かな理由は明かされていないのです。

作品情報

原題:家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。(2018)
監督:李闘士男
出演:榮倉奈々 安田顕

コメント