白黒映画の「麦秋」は時代を超越した最先端の会話劇だった?


およそ70年近くも前の作品でありながら、現代に通じる軽妙なやりとりで魅せてくれる『麦秋』です。

見てきた全ての映画について、細部まで完璧に覚えている人はいるでしょうか。淀川長治ならいざ知らず、大抵の人はディテールに関して不確かだったりするのだと思うのです。中には中身を全く覚えていなかったり、ひどい時には観たことがあるかどうかすら思い出せない作品も出てくることもあるから困ります。
少なくともタイトルくらいは覚えておいて、気づかずに二度観るような愚はおかしたくないものだと思いつつ、既視感を感じながら観ている途中で、「二度目だった~」と確信するなんてことも一度や二度ではないのです。録画しておいたものが既に観たことがあるというのなら消去すればいいだけですが、わざわざレンタルしてきたものが二度目だったりした日には、お金をドブに捨てた気分です。
関係ないですが、21世紀生まれの成人も出てこようかという今日この頃、道路に側溝はあってもドブは見たことがありません。慣用句だからと言って、いつまでも「ドブに捨てる」と表現せずに、そろそろ新たな言い回しはないものでしょうか。

さておき、これから名作だと紹介する「麦秋」こそ、何を隠そう観終わってメモを調べたら、二度目の鑑賞だったとわかったのでした。観たことすら覚えていなかった作品を名作だと紹介されて、はいそうですかと納得してくれる人がいるとも思えませんが、悪いのは私の灰色を通り越してドブ川のようにくすんだ色をした脳細胞であって、作品自体は確かに素晴らしいのです。
前置きが長くなりました。

あらすじ

実家暮らしの紀子は、上役・佐竹の秘書として働きながら独身を謳歌していたものの、周りはいつ結婚するのかという雰囲気。女学生仲間だった4人組も、内2人が結婚して付き合いが悪くなってきた。
佐竹が持ってきた縁談に乗るかに思えた紀子だが、幼馴染の転勤を知り、その母親との何気ない会話の中であっさり結婚を決めて転勤先へとついていくのだった。

この映画のみどころは何気ないドラマにあり

あまりにも素っ気ないあらすじかと思われるでしょうが、手抜きではございません。この映画の良さはストーリーを成立させる日常の生活感にあって、笠智衆を始めとする芸達者な俳優陣はもとより、子役に至るまで、とてもナチュラルなやりとりを見せてくれます。
日常会話が芝居くさくなく、さりとてドキュメンタリーとは違って、考えられ構築された会話なのです。固定されたカメラに向かって話すような構図も多用され、現代的な視点からすると漫画を読むのに近い映画となっています。
これは、一連の小津監督作品に通じる特徴でもあります。

小津安二郎監督とは

これまで日本の映画界で監督と呼ばれた人は1000人以上いると思います。その中で、黒澤明という名前であれば、多少なりとも映画に興味のある人だったら名前くらいは聞いたことがあるはずです。ただ、黒澤明をもってしても、一本も見たことがない人が大半でしょう。
残念ながら小津安二郎となると、名前も聞いたことがない人がいても驚きません。何故そうなってしまったのかといえば、没後50年以上も経過しているからです。確かに長い時間が過ぎましたが、映画のいいところは、半世紀以上も前の作品を、今も鮮明なままに見ることができるところです。
そして、小津監督の作品は市井の人々の何気ない日常を切り取ったものが多く、確かに文化風習は当時のものであっても、会話の軽妙さなんかは今見ても十分に面白いのです。と言うより、この「麦秋」に関しては、ストーリーライン以上に、テンポのいい会話を楽しむ映画と言ってもいいかもしれません。本筋に関係あるもの、ないもの、主人公が絡もうと絡むまいと、飛び交う会話の心地よさに浸っているうちに物語が進んでいきます。

特に女友達同士で交わされる相槌の、「ねぇ~」は、声に出して真似せずにはいられない中毒性を持っています。同じ相槌でも、冬季オリンピックで話題になった「そだねー」だったり、1995年のヒットソング「DA.YO.NE」の遥か先を行っていたわけです。
ところで、「DA.YO.NE」ネタが出てきたのでついでに申せば、当時の各地方バージョンで北海道版は「SO.DA.NE」ではなく、「DA.BE.SA」で、「水曜どうでしょう」で全国区になる前のミスターこと鈴井貴之がアーティストとして参加していたそうです。人に歴史あり。

原節子という女優

主人公の紀子を演じたのは、原節子です。
和風というよりは、どこか西洋風な面立ちで、女優ですからメイクの力も大きいのでしょうが、そうしたメイクで仕上げたいと思わせることがすでにオクシデンタルの証なのです。この作品では奔放で潑刺な娘を演じていたかと思えば、同じ年に公開された黒澤監督の「白痴」では謎めいた雰囲気を漂わせるなど、演技の幅の広い女優です。
原節子は、小津監督の死去に併せるかのように、40代の前半にしてすっぱりと隠遁の生活に入ります。2015年、95歳で亡くなるまで、一切カムバックしなかったわけで、この引き際は山口百恵に重ね合わせずにはいられません。
ただ、山口百恵が結婚を機に引退したのに対して、原節子は生涯独身だったそうです。映画の中では数多くの恋をして、何度も結婚してきたのですから、思うところがあったのでしょうか。真相は、藪の中、、、

「あら、「羅生門」に出演していればうまく落ちたのにねぇ」
「ねぇ~」

作品情報

原題:麦秋(1951)
監督:小津安二郎
出演:原節子 笠智衆

コメント