「ペンタゴン・ペーパーズ」に隠された真相とエンタメの爆発力


スピルバーグ監督の「ペンタゴン・ペーパーズ」は、単なる機密文書の謎を追う物語だと思っていると痛い目を見ます。邦題になると隠されてしまったことでも、原題を見ると映画で描きたかった本当のテーマがわかります。

ペンタゴンとは、アメリカ合衆国の国防総省の通り名です。庁舎の形がペンタゴン、つまり五角形になっていることから組織自体の通り名になりました。国防総省というだけあって、陸海空の三軍に海兵隊など、アメリカンミリタリーの中心です。9.11では飛行機が突っ込んだことでもわかるようにシンボリックなものです。
蛇足ながら日本では日本銀行の本店が漢字の円の形になっているのが有名です。だからと言って日本銀行をエンと呼ぶ人を見たことはありません。
映画は建物ではなく、国防を表す単語としてペンタゴンが用いられ、書類を表すペーパーズと組み合わせて邦題としています。書類に記されていたのはベトナム戦争の真実でした。

ベトナム戦争を戦地で描くかアメリカ国内で描くか

日本で広島と長崎に落とされた原爆が時代を超えて大きな意味を持っているように、アメリカではベトナム戦争が歴史の中で占める意味合いは小さくないようで、数多くの映画で直接的にあるいは間接的にベトナム戦争が描かれています。
「プラトーン」では真正面から戦場を捉えて、最前線の部隊の過酷な日々を、「地獄の黙示録」では戦争に翻弄され混乱し、自らの王国を作り上げるに至った男の姿が、「7月4日に生まれて」では戦場よりも過酷かもしれない世間の荒波に抗う帰還兵の戦いというように、多角的な作品テーマを見ることができます。
また、「ランボー」に代表されるように、この戦争のトラウマを宿すキャラクターも多く登場します。迫力ある戦闘シーンから、緻密あるいは破綻した作戦、英雄や名もなき一兵卒まで、第二次世界大戦の規模とは違って局地的な戦場が濃密なドラマを生むのでしょうし、直接的に戦闘とは関わらない家族やジャーナリストの視点から描くケースも少なくありません。

あらすじ

国家機密に類する文書が持ち出され、ニューヨーク・タイムズにスクープとしてすっぱ抜かれる。進行中のベトナム戦争が早期から無謀と認識されていたとする内容は、政府の存亡に関わる事案だった。ネタ元を掴んで続報を打ちたいワシントン・ポストだったが、これ以上の情報流出を防ぎたい政府は発行差し止めの裁判を起こす。
折しもポストは経営状態の改善を目指して融資を受けようとしていたため、社のイメージがダメージを受ける事態は避けなければならない状況にあった。ジャーナリストとしてスクープを狙いたい現場の情熱と、すべては社が存続してこそと考えるオーナーの葛藤は平行線を辿る。
芸能スキャンダル程度であればスルーもできるところを、多くの命がかかっている戦争を止めることになるかもしれない事案となれば、報道の存在意義そのものを問われているも同然。ニクソン大統領を向こうに回して、新聞社の意地を賭けた輪転機が動き出す。

原題は全く別の角度に踏み込んでいた

「ペンタゴン・ペーパーズ」の原題は、「The Post」です。ポストは赤い郵便ポストではなく、新聞のワシントン・ポストの意味で、ワシントン州の地方紙ながら首都ワシントンDCを要することから、全米でも五指に入る高級紙です。ジャーナリズム精神とは別に、オーナーが世襲することもあるほどで、経営はワンマン的なのが面白いところです。
映画でもライバル関係の存在と描かれるニューヨーク・タイムズは、The Timesと称されることがあり、100万部クラスのメジャー高級紙です。朝日新聞、読売新聞、毎日新聞などの全国紙が一般的な日本と違い、スケールの大きなアメリカでは全国紙というとUSAトゥデイの独壇場の趣があり、各州の地方紙がパワフルなのです。ついでとして、日本経済新聞にあたるのはウォール・ストリート・ジャーナルと覚えておけば問題ありません。

The Postと題されたのは必然で、特ダネをすっぱ抜こうとしのぎを削る中で、政府の圧力と国民の知る権利、報道の自由を守る戦いなどの新聞紙の内情が描かれています。機密書類の中身がショッキングであっても、あくまでも副次的なテーマに過ぎません。ペンは剣になっても、打ち出の小槌にならない以上、融資を受けるためのテーブルに出向く必要もあるわけです。夢見るだけでは飯が食えないのは時代もジャンルも超える真理です。

報道の自由はマスメディアの良心の戦い

日常のほのぼのとした話題を取り上げつつ、事件の詳細を追い、時に組織の腐敗に鋭いメスを入れるのが報道です。戦時中は報道管制となって国民をコントロールできてしまうのが怖いところです。現代はインターネットの発達で情報の統制は難しいものの、予断は許さないものと心構えるのも大袈裟ではありません。

メディアの力でイメージをコントロールする物語は映画にもたくさんあります。
ロバート・デ・ニーロダスティン・ホフマンの共演する「ワグ・ザ・ドッグ」は、大統領のセックススキャンダルを揉み消すためにメディアを使って、ありもしない戦争を作り上げてしまいます。クリントン大統領とモニカ・ルインスキーのスキャンダルと、その後の中東などへの爆撃を風刺しているのは明らかで、あえてコメディー調に仕上げています。

一方で、大スキャンダルとなったウォーターゲート事件を描いた「大統領の陰謀」もあります。

スティーヴン・スピルバーグ流エンタメ術

ベトナム戦争はニクソンが大統領に就任した時にはすでに泥沼の様相を呈していました。ニクソンは硬軟を織り交ぜた外交と戦略で最終的にはアメリカの全軍撤退を成し遂げた大統領となります。とはいえ、隠すべきことは圧力をかけてでも隠そうと画策しています。
最たるものがウォーターゲート事件です。対立する民主党の委員会本部に盗聴器が仕掛けられようとして、ニクソン大統領の関与が疑われた事件です。映画「大統領の陰謀」は、圧力に屈することなくウォーターゲート事件を追求した二人のジャーナリストの物語で、二人が所属するのがワシントン・ポストです。
ペンタゴン・ペーパーズはニクソン大統領の任期一期目の出来事で、二期目の在任中に事件が明るみに出て辞任に追い込まれます。

稀代のエンターテイナーとも言えるスティーヴン・スピルバーグ監督のこと、ワシントン・ポスト紙を舞台とした映画のエピローグにはニクソンの不気味な存在感と、大スキャンダルへの伏線を忍ばせています。多少の知識が必要ではあるものの、このエピローグの引きの強さは「キター!」と叫ばずにはいられません。映画館では叫びませんけどね。

作品情報

原題:The Post(2017)
監督:スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)
出演:メリル・ストリープ(Meryl Streep) トム・ハンクス(Tom Hanks)

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