はっきり言って、かなり考え抜かれた構成のミステリーで、原作小説は未読ながら、おそらく小説を読んで映画化したいと思わせてくれるものだったことは想像に難くないです。そう思ったので、ちらっと調べてみると、原作小説は賛否両論でした。
小説を映画にするということ
大抵の作品には賛否の両方があり、話題作になるほどに両極化が進むのは常です。問題は映像化の方法で、いらぬ改変や時間的制約の都合による圧縮、エピソードの取捨ミスなど、諸々の要因から原作の持つ魅力は何処へやらの怪作を量産し兼ねないのです。
醜男設定のはずが爽やか爆発のイケメンキャストになるのは日常茶飯事で、性別や年齢設定が変わることもあります。中には、明らかにタイトルパワーを借りたかっただけで、なぜ作ろうと思ったか理解に苦しむものもあったりします。
ですから、「去年の冬、きみと別れ」が映画として面白く、そこから原作の面白さをも感じさせるのは大したものだと言いたいのです。上から目線ですみません。
特に秀逸なのは、「去年の冬、きみと別れ」という題名です。これだけで完結したタイトルになっていつつ、その先も含んでいて、意味合いは異なりますが北野武監督の「あの夏、いちばん静かな海。」を見るかのようです。
かたやピリオドのつくタイトル、こなたピリオドのつかないタイトル。終止符が打たれないのであれば、続きを考えてみようじゃありませんか。
とってつけたような流れではありますが、映画のエンディング後を類推します。そのために、とりあえずラストまでのストーリー概要をがっつりおさらいします。というわけで、この先はゴリゴリのネタバレです。ご注意ください。
あらすじ
気鋭の写真家木原坂雄大は、盲目のモデル吉岡亜希子の焼殺容疑で逮捕されるも証拠不十分で自由の身。事件が風化しようとする頃、雑誌社の編集デスク小林良樹の前に事件を追うライター耶雲恭介が現れる。
恭介は雄大の密着取材を始める。恭介による周辺取材の様子が描かれ、雄大と姉の朱里が父親から虐待を受けていた過去と、父親殺害の疑惑が浮き上がる。疑惑の裏には共犯者の影が。
雄大の取材にのめり込むあまり、恭介と結婚間近の婚約者松田百合子との関係は悪化していく。そんな折、雄大が百合子に近づき、写真モデルとして屋敷に軟禁する。そして百合子は焼死し、雄大は再び容疑者として逮捕される。
デスクの小林が恭介の過去を探ると、最初に殺された亜希子と恋人だったことが判明する。その小林は朱里との密会関係にあり、父親殺害時のアリバイ作りに手を貸していた過去がある。
亜希子を殺したのは弟を思う朱里の歪んだ行動で、小林は亜希子の拉致にも手を貸していた。亜希子の死の真相を追う恭介は執念の追跡で小林と朱里の関係を掴んでいて、小林のもとを訪れたのも復讐計画の一端だった。
百合子の焼死体と思われていたものは、実は朱里で、朱里に心酔している小林は大きな衝撃を受ける。生きていた百合子は借金苦で自殺しようとしていた無関係の女で、恭介から別人名義のパスポートと報酬を渡されて別れるが、恭介を愛し始めていた自分に気づいていた。
全てを明かした恭介の書籍が発売されようとしている。
とても無粋な、事実関係のおさらい
物語は、恋人を殺された耶雲恭介の復讐劇です。
亜希子が殺されても、恭介の想いは変わっていなかったものの、いよいよ計画を実行するにあたって、彼氏が殺人犯となることを、たとえ既に死んでいる恋人に対してでも許せず、本当の別れを決意します。そこで秀逸といったタイトルの文言が登場するわけです。
「去年の冬、きみと別れ、僕は鬼になった」
タイトルにピリオドがついてはダメだったわけで、声に出せばイントネーションも異なることがわかります。
・本人も自覚しているように、恭介による木原坂朱里の焼殺は紛れもなく殺人で有罪です。仇討ち免状のない現代では、仮に復讐だからと情状酌量があったとしても殺人罪には変わりありません。
・恭介の婚約者を演じた百合子は殺人幇助にあたるでしょうから、自由の身でいるには逃げ切る必要があります。
・木原坂朱里は、亜希子を殺しているので殺人罪になります。
・木原坂雄大は、モデルの監禁などをしているとの噂がありますが、映画の中では自らの手で重犯罪は犯しません。
・デスクの小林は、朱里の行った殺人の幇助と、拉致に関しては共犯です。
映画のその後を勝手に考える
耶雲恭介は完全犯罪をしたいわけではないので、出頭するか、遠からず警察に捕まるでしょう。日本の犯罪捜査は、彼を見逃すほど落ちぶれていないと思いたいです。しかし、殺人に加え、百合子のパスポート偽造も加わると言っては無粋にもほどがあるでしょうか。
捜査のスピードにもよるとはいえ、当の百合子もいずれ別人名義で国外逃亡したことまでは探られるはずです。それ以前に、百合子は自首する気がします。恭介を愛してしまったから。借金の理由は知りませんが、それで自殺サイトにアクセスして、殺人計画に手を貸し、その男に惚れてしまうという人ですから、あまり現実的性質とは言えません。
愛する男が自首や逮捕となれば後を追うように捕まるでしょうし、犯行が明らかにならなければ、恭介に会いに行き、見つからなければ警察の手を借りると思うのです。そういう人ですよ。シランケド。
木原坂朱里は、父親から性的虐待を受けて幼くして精神崩壊しています。今や世界を股にかけて商才を発揮しているようですが、亜希子への殺人罪については有罪ながら精神鑑定が入る上に、幼少期の父親殺しに対しては情状酌量もつきそうです。
写真家として伸び悩んでいた木原坂雄大は、亜希子の殺害に関しては救助を怠った罪、百合子の殺害は無関係、そもそも百合子殺しという事件は存在しません。監禁等の噂は、あくまでも噂止まりで、見落としや記憶違いでなければ、最終的に何かしらの有罪がついても執行猶予くらいなのではないかと思います。
小林にも有罪判決が下ることから、一線での社会復帰は望めないでしょう。そこで、恭介の本が出版されるのであれば、カウンターとなる木原坂姉弟の本を書き上げることになりそうです。
以上の好き勝手な推論は、実際の刑法までは踏み込んでいません。映画の世界に没頭して、どの登場人物にも同情できるようになっていて、釈然としないものを感じて、どうすれば納得できるかをまとめてみたに過ぎません。
むしろ、恭介の復讐劇をあまり支持していない感があって、これなどは判官贔屓だったりするのかもしれんです。
基本的に、愛の名の下に起こす行動は支持するタイプですが、時と場合によるようです。
作品情報
原題:去年の冬、きみと別れ(2018)
監督:瀧本智行
出演:岩田剛典 山本美月
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