母の心を踏みにじる娘の憎たらしさに救いがない「ミルドレッド・ピアース」


親の心子知らずと申しますが、親の愛は日本海溝よりも深いのです。一方で、盲目的な愛は子供を増長させる原因にもなりかねません。愛せどウザがられる不条理。スネを齧りながら自由を求める矛盾。
思春期あたりで誰もが通る道を、戦後間もない作品で垣間見ると、どれだけの世の中が進歩しようとも人々の生活に大きな違いはないことがわかります。

あらすじ

リビングに立つ男が銃弾に倒れるシーンで幕が上がる。衝撃的な導入に続いて、桟橋から身を投げようとする女性、ミルドレッドを警察が止める。
ミルドレッドはバーのオーナーであるウォリーを別荘に誘う。ウォリーはミルドレッドに惚れていて、旦那がいると知りながら色目を使うような男。ミルドレッドはウォリーを別荘に残して去る。
取り残されたウォリーはリビングで死んでいるミルドレッドの旦那モンティ・ベラゴンを発見し、タイミングよくやってきた警官に嫌疑をかけられる。
ロス市警には、ウォリーだけでなく、ミルドレッドの前夫であるバートも連行されて聴取を受けている。ミルドレッドの順番になると、警察はバートが容疑者だと告げる。そんなはずはないと言い切るミルドレッドは、根拠として離婚までの経緯を語り始めるのだった。

17歳で結婚した世間知らずのミルドレッドは、二人の娘を産んで慎ましく暮らしていた。バート・ピアースはウォリー・フェイと不動産業をしていたが不況で仕事を辞め、ビーダーホフ夫人と不倫をしていると噂されている。
些細な喧嘩からバートは家を出ていき、ミルドレッドの職探しが始まる。
ウェイトレスとして必死に生計を立てるミルドレッド。長女のヴィーダは贅沢な暮らしに憧れ、庶民出でウェイトレスをしている母のことを軽蔑する。
ミルドレッドは一念発起してレストランのオーナーになるべく、彼女に対する邪な思いを隠そうともしないウォリーを頼って、斜陽の名家の跡取りであるモンティが持つ物件を手に入れる。
モンティといい関係になった時、次女のケイが肺炎で死んでしまう。

レストランは軌道に乗って、財産をヴィーダに遺すためにミルドレッドはバートと正式に離婚する。ヴィーダは望む物を手に入れられる身となり、母に内緒で籍を入れた挙句、慰謝料を手にして離婚するなど、わがままの限りを尽くし家を出る。
モンティはヴィーダの堕落を助長させ、ミルドレッドのお金を散財する有様。
踏んだり蹴ったりのミルドレッドは、ウォリーの店でシンガーをしているヴィーダを見て、娘を救い出そうとモンティと愛のない結婚に踏み切る。
ようやく安穏な暮らしを手に入れるかに思えたものの、モンティが勝手をしたことで店の権利はウォリーの手に渡ってしまう。
娘と同じくらいに手塩にかけて育て上げた店を奪われたミルドレッドは、銃を手にしてモンティのいる別荘へ向かうのだった。

導入は謎の殺人事件

衝撃的な殺人に続くミルドレッドの仕掛ける罠によって、一気に物語に引き込まれることになるオープニングが見事です。物語は殺人の謎解きに進むのかと思いきや、ウォリーの嫌疑はあっさりと晴れ、ミルドレッドの回想が主線になります。
夫と別れて二人の娘を育てなくてはならなくなったミルドレッドは、なりふり構わず働いて財を築きます。犯人探しはひとまず脇に置かれ、タイトル通りにミルドレッド・ピアースなる女性の生き様が紡がれるのです。
早々にミルドレッドは夫の殺害を自供して、これにて一件落着とはならず、物語は愛憎関係に移っていきます。

母ちゃんの一代記はジョーン・クロフォードの一代記か

あらすじにあるように、ミルドレッドはウェイトレスからスタートして、やがてはチェーン展開するレストランのオーナーになります。実はミルドレッドを演じたジョーン・クロフォードも女優として生計を立てられるようになるまではウェイトレスをしたこともあり、役柄さながらの生活を送ってきたのです。
さらに、クロフォードの最後の結婚相手であるアルフレッド・スティールはペプシコ社のCEOで、クロフォードは彼の死後に取締役になります。ペプシコ社ではピンとこない人もいるかもしれませんが、ペプシコ社が手掛けてきたペプシドリトスのブランド名を聞けば企業の規模が推し量れるでしょう。
ミルドレッドの人生はそのままクロフォードの人生でもあるかのようです。

ミルドレッドとは違って、クロフォードは女優です。
当時のイマドキ女子で、流行の先端をいき、成功を貪欲に追い求めて努力をしました。グレタ・ガルボなどを擁するメトロ・ゴールドウィン・メイヤーで看板女優の一人となり、戦前のハリウッドを代表する女優にまで登り詰めます。映画史に残る名作オールスター映画「グランド・ホテル」にも出演しています。
ただ、成功後のジョーン・クロフォードは出演料に興行成績(ボックス・オフィス)が伴わず、ボックス・オフィス・ポイズンと揶揄されていました。日本でも主演作が多い割に視聴率や興行収入の低い人がいるのと同じですね。

MGMとの契約を終了したクロフォードはワーナー・ブラザースへ移り、戦後すぐにミルドレッド役でアカデミー賞の主演女優賞を受賞します。「ミルドレッド・ピアース」は全部で6つの部門で候補となりましたが監督賞はノミネートされていません。監督のマイケル・カーティス「カサブランカ」で知られる名匠です。
監督は当初、別の女優を主演にしたかったもののスタジオに説得され、カメラテストを受けさせた上でクロフォードを主演にしました。ミルドレッドは庶民の主婦から成り上がったのに、最初からスター然としたクロフォードの演出に手を焼き、現場はピリついた緊張感に包まれていたと言います。
作品全体のテイストからすると、こうした雰囲気がプラスに働いた面もあるのでしょう。

愛憎の行き着く先

クロフォードはスターらしく結婚と離婚を繰り返し、4度目の結婚相手が前述のペプシコ社のアルフレッド・スティールです。アンジェリーナ・ジョリーの先を行くごとくに4人の養女養子を迎え、死後にクリスティーナという養女が虐待を受けていたと暴露本を出します。精神的肉体的な虐待を受けていたという真偽はさておき、まさにミルドレッドとヴィーダの関係を彷彿とさせるではないですか。
ミルドレッドは肺炎で早世した次女の分もと、長女ヴィーダのわがままを叶えていきます。お金や物を与え、家柄を求められれば愛のない再婚にも踏み切ります。
そんな母の愛を残酷なまでに受け流せるヴィーダは鬼ですよ。いやむしろ童話の赤鬼の方がいいやつですよ。物欲にまみれて裏切りを繰り返すヴィーダの冷淡な目つきときたら、演じるアン・ブライスの底意地の悪さを疑ってしまうほどで、なるほどアカデミー助演女優賞へのノミネートも納得です。

ミルドレッドはさておき、ジョーン・クロフォードは共演の女優と公然の罵り合いを展開したこともあるくらい強気なトップ女優気質なので、役柄にこそ感情移入しても本人への同情の必要はないのかもしれません。

事件と人間のどちらが主役か

そんなこんなで虚実入り混じったかの「ミルドレッド・ピアース」ではありますが、殺人事件に端を発する物語は単なる推理ものではなく、一人の女性の半生のドラマが描かれています。
密室トリックなどの推理が中心でなければ、事件の背後にあるドラマが焦点になるのは事件ものの常です。冒頭やクライマックスの事件の描写以外は、犯人や被害者がどういった人間で、なぜ事件になったのかを追っていきます。
時代背景を考慮しない前提とすれば、警察が犯人蔵匿や幇助の罪には目を瞑っているストーリーからも、事件のことよりも人間ドラマを描きたかったのは明白です。

殺人事件はおまけかと思うくらいに面白いミルドレッドのドラマとはいえ、事件の真相も含めての名作です。何があったのか、そして穏やかさを湛えるラストシーンは是非皆さんで確認してもらいたいものです。

ところで、東野圭吾の「容疑者Xの献身」は、現代の「ミルドレッド・ピアース」と言っては言い過ぎでしょうか。

作品情報

原題:Mildred Pierce(1945)
監督:マイケル・カーティス(Michael Curtiz)
出演:ジョーン・クロフォード(Joan Crawford) ザッカリー・スコット(Zachary Scott)

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