「のみとり侍」からネタバレしない程度に女心や忠義の裏側を覗き見る

のみとり侍
愚直なまでに実直な侍が思いもよらなかった境遇に叩き落とされます。ただ、転んでもただでは起きません。武士としての心だけは捨てずに、目の前の物事に真摯に向き合います。新たな友もできます。想い人もできたようです。
でも、この侍には何やら秘密があるようです。長屋の住民が噂するように仇討ちが目的でしょうか。それとも時代劇に付き物の公儀の隠密とやらでしょうか。降って湧いた無茶振りの先に待つ真実とは。

以下のあらすじですが、オチには触れていないものの、先々の内容まで触れたものになっています。まっさらの状態で見たい人は、ご注意ください。

あらすじ

確かな剣の腕を持ちながら、バカ殿藩主に物申したために猫ののみとりに格下げされてしまった長岡藩の武士・寛之進。のみとりとは俗称で、実際の仕事は男娼と知って驚く。初仕事を上手くこなせず自信喪失気味の寛之進の前に現れたのは破天荒な色男・清兵衛。
清兵衛は、女房に塗られた浮気防止のうどん粉を塗り直すことと引き換えに、寛之進に愛の技術を指導する。それは、実際の秘め事を覗かせるという過激な方法だった。おかげで自信を得た寛之進は、初仕事で馬鹿にされたおみねへのリベンジに成功する。

長屋暮らしとなった寛之進は、私塾を開いて子供達に読み書きを教えている友之介と知り合う。友之介は日々食べるものにも事欠きながら奉仕していた。残飯を漁って猫に引っ掻かれた友之介は病に臥せってしまうが、お金がないために医者に診てもらえない。
馴染みの医師に声をかけに行った清兵衛が姿を消し、万事休すとなっていよいよ、友之介は形見の刀を寛之進に託す。寛之進が刀を持って町医者を訪ねると、医者は願いを聞き入れて往診してくれた。

時の老中・田沼は権勢を振るっていたものの、ついに失脚してしまう。それに伴ってのみとり行為は禁止になり、寛之進たちは打ち首の危機にさらされる。この危機を救ったのは長岡藩の面々だった。しかし、命長らえたのも束の間、藩主の前に引っ立てられた寛之進は、新たな窮地に立たされる。
そんな寛之進を見つめる一人の男、彼こそは姿を消していた清兵衛なのだが、どうも様子がおかしい。さらには、藩主が意外なことを言い始めたことで、様相は一変していく。

侍の時代の男色

巷ではBLが市民権を得た感がありますし、遡れば日本は男色に寛容な国であったとはよく言われてきました。むしろ、漢たるもの、武士たるもの、僧侶たるものと、とにかく男が女にうつつを抜かすのは軟派であるとの風潮があったくらいで、それならむしろ男同士で関係を持ったらいいじゃないか、と思ったかは定かではないものの、関係性としては珍しくなかったのです。
開国してからのしばらくは、文化的にあまりよろしくないという思想が広まりましたが、近年では再び恋愛面でもジェンダーフリーが定着してきています。

侍の時代においては、こうした方向性を衆道と呼んでいました。ならば男娼の存在も珍しくなかったかといえば、それは少し違ったようです。何しろ男尊女卑とは言わないまでも、半歩下がってついていく感じの男女関係が色濃く、男が色を売るなどもってのほかと考えられていました。
そもそも、江戸には圧倒的に男性の方が多かったとされ、基本的には男が余っている状態だったようです。つまり、女性は結婚しやすく、男性は独身者で溢れていたわけです。

ところで、信長に仕えた森蘭丸が美少年として描写されることが多いように、衆道では若く美しい男性が好まれました。ただ、必ずしもそうした需要だけでなかったのは、男女の別によらず同じことです。結局のところ、男だ女だなんだかんだより、惚れた腫れたがすべての世の中なのです。

御触れパワーはチート?

国家的な法整備よりも御触れが全てであったような時代のこと、有名な生類憐みの令をはじめ、さまざまな御触れがありました。良し悪しはさておき、憲法のように簡単には揺るがない制度ではなく、時の権力者が立て札一つで触れるわけですから、なかなかダイナミックです。
先に挙げた生類憐みの令は長らく悪法の象徴のように取り上げられてきたものの、近年では人類愛や動物愛護に通じる精神を求めた、至極真っ当な御触れであると認識されてきています。確かに、時代劇を見ていると刀を一閃してバッタバッタと悪人を倒していくわけで、ある意味やりすぎです。
無論、「安心せい、峰打じゃ」って人もいたでしょうけど、何れにしても動物も人も、生類皆押し並べて命が軽んじられていた時代に、もっと友愛の心で接しましょうと言ったのが綱吉将軍です。

話を戻しまして、「のみとり侍」では藩主に命じられるままに、のみとりに身をやつし、老中が失脚して新たな御触れが出れば晒し者にされたりします。ボールひとつにキリキリ舞いな翼くんたちといい勝負です。

春画のごとき秘めごと

武士は食わねど高楊枝と言えども、働かざるもの食うべからずですから、家禄がなければ仕事しろって話です。ちなみに、清貧でも毅然としているのが先のことわざの意味ですが、高楊枝とはニートな遊び人状態を指す言葉だったりもします。そう考えると微妙に格好悪い状態のようです。
森田芳光が監督した「武士の家計簿」では、貧しいながらも倹約に努める下っ端侍の姿が描かれていますし、朝原雄三監督の「武士の献立」には刀を包丁に持ち替えて奮闘する侍がいます。侍といえども色々と苦労していたのです。

今回はのみとりですから、好色家だったなら願ったり叶ったりです。寛之進もまんざらではない様子で、映画の中では思ったよりもまぐわっていました。そこに老中が絡んできて、事態は大きく展開するのですが、これがまた食わせ者です。寛之進の苦労は絶えません。
ここに来てようやく気付いたのですが、寛之進だから阿部寛がキャスティングされたのでしょうか。なわけないですね。

作品情報

原題:蚤とり侍(2018)
監督:鶴橋康夫
出演:阿部寛 寺島しのぶ

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