「バラバ」キリストの最後を目撃した男の苦悩の旅


すれ違った程度の出会いのはずが、一生をかけて答えを求める旅の始まりとなります。CGではないからこそ再現できたスケール感に圧倒されるのが、60年代の映画のいいところでもあります。

長い物語ですが、要所を抑えつつラストまであらすじにしています。ネタバレせずに見たい方はご注意ください。

あらすじ

ナザレのイエスが民衆を扇動した罪で捕まったとき、祝祭の恩赦を与えるべきだとの声が上がる。恩赦により一人だけが特別に罪を逃れるのだが、民の声で恩赦を受けたのはイエスではなく、強盗の咎人であるバラバスだった。
思わぬ恩赦に揚々と外へ出るバラバス。彼は後光さす男、イエスを目にして強い印象を受ける。
寝ぐらに戻ったバラバスは仲間たちの歓待を受ける。バラバスは情婦のレイチェルを探すが彼女は預言者イエスに心酔していた。
窓の外を十字架を背負い歩いていくイエス。バラバスはレイチェルを強引に連れ込んだものの、突然空が暗くなる。ゴルゴダの丘で磔になるイエスの頭上で、太陽が黒い影に覆われていく。

イエス・キリストは処刑されたが、レイチェルはバラバスにイエスは三日後に復活すると告げる。予告通りイエスの遺骸は消え失せたものの、バラバスは誰かが持ち去ったのだと信じようとしない。
それでも気になるバラバスはイエスの弟子のラザロを訪ねる。ラザロとの対話は納得のいくものではなかった。バラバスは帰り道で、民衆の前で神の子の新しい王国が誕生すると話しているレイチェルに出会う。
レイチェルは民衆を惑わした罪で捕まり、石を投げられ処刑される。バラバスは再び野盗に戻るがすぐに捕まり硫黄鉱山で奴隷として働かされることになる。

20年という長きにわたって鉱山の地下深くで生き抜いたバラバス。統治者は何代も変わり、世捨て人のような状態のバラバスの前に、新たな奴隷サハクがやってくる。
キリスト教を信じるサハクは、イエスを殺したバラバスを人類の敵だと罵る。イエスの死は自分のせいではないと言うバラバスも、サハクの敬虔な様子を見るにつけ、心の中で再びイエスの存在が大きくなっていく。
鉱山が地震で崩壊したとき、バラバスはサハクを連れて逃げ出す。たった二人の生存者であるバラバスとサハクは農地を開墾する仕事に移される。

領主のルフィオが元老院議員に昇格してローマに行くことになり、バラバスとサハクも連れて行かれる。二人は闘技場で命がけで闘い観客を喜ばせる剣闘士として訓練を受ける。
厳しい訓練の果てに闘技場デビューを果たしたその日、サハクは相手にとどめをささず、剣闘士たちにキリストの教えを伝える。
ルフィオに呼び出されたサハクとバラバス。バラバスはキリスト教を信じていないと言うが、サハクは信仰を捨てず処刑されてしまう。
闘技場の覇者であるトルヴァドと闘い勝利したバラバスは、皇帝から自由を得る。すぐにサハクの遺骸をキリスト教徒たちが隠れて集まっている地下墓所へ連れて行くバラバス。彼らはバラバスを導くことなく、姿を消す。

地上に出たバラバスはローマの街が燃えているのを目の当たりにする。キリスト教徒たちが街を焼いていると聞いたバラバスは、自らも建物に火をつけていく。
しかし、この大火はキリスト教徒たちに罪をなすりつける罠だった。バラバスは彼らとともに捕らえられる。

多くの教徒たちと磔にされるバラバス。十字架の上で、彼はついに主の存在を受け入れるのだった。

原作と史実

邦題は「バラバ」ですが、作中では原題通りにバラバスと呼ばれています。イエス自身も、イェースースに近い呼称が本来的なところ、日本ではイエスで通っています。
それぞれの呼び方は時代や宗派などでも異なるので、ここでは今日一般的なバラバとイエスとしています。

宗教的な解釈などは置いておいて、この作品がどれくらい実話を基にしているかですが、そもそもイエスの存在が重要になってきます。
イエス・キリストがキリストになる前、彼はナザレのイエスとして通っていました。本作でも、預言者としてナザレのイエスなるものが捕まったところから始まります。
イエスのおこないが記されている新約聖書は、イエスのことを各人が記した福音書からなりますから、当然イエスは存在したことになっています。しかし、それ以外にもほぼ同じ時代を生きた歴史家が、ナザレのイエスに関して書いているので、実在は間違いなさそうです。歴史家の中にはタキトゥスのようにイエスの処刑に関与した人もいるくらいです。

では、バラバはどうかというと、いくつもの福音書の中で、映画にあるように恩赦を与えるのはイエスかバラバかで民衆に聞いたところ、バラバが選ばれたとなっています。
ただ、キリストの生涯を記した新約聖書ですから、多少の味付けとしてバラバを登場させた可能性は残ります。
なんと言っても2000年ほど前の話です。例えばこの時にピラトという名の総督がいたのは様々な歴史書から確かなものの、彼がバラバに恩赦を与えイエスに処刑を言い渡したというのが史実かどうかは、今でも議論が続いているくらいです。

少なくとも、新約聖書にはバラバが登場し、彼が恩赦を受けたことで、イエスは恩赦を受けられなかったと記されているわけです。そのエピソードに目をつけたのが、スウェーデンのペール・ラーゲルクヴィストという作家です。
彼は、恩赦を受けたバラバのその後を創造し、1950年に小説「バラバ」を発表します。映画「バラバ」は、ラーゲルクヴィストのこの小説を原作としています。

再度申し上げておきますと、ここでは宗教的な観点ではなく、あくまでも史実としてどうみられているか、映画がどれくらい実話ベースなのか、概要を調べたにすぎません。

西暦に関して

日本では平成から令和へと元号が新たになったりしましたが、欧米では一般的に西暦が用いられてきました。西暦には紀元前とされるものがあります。
紀元という言葉は暦だけでなく、物事のゼロ地点を表すものであり、では西暦の紀元は何かというと、イエスの生誕を指します。
イエス・キリストがいつ生まれたのか、明確な記録はないものの、西暦525年にディオニュシウス・エクシグウスが524年前を、イエスの生まれた紀元1年とするとしました。この紀元1年の前が、紀元前1年となるわけです。

紀元前をBCと略すのは、「before Christ = キリスト以前」の頭文字をとったものです。対して、紀元1年以降は「anno Domini」の頭文字からADと略されます。ラテン語で「イエス・キリストの年に」を表していて、わかったようなわからないような意味です。
BCが英語で、ADはラテン語と、少々ややこしいため、ADの方を「after Death」あるいはおかしな表現ですが「after died」などの略だと聞くこともありますが、これは都市伝説的な誤りです。これが正しいとすると、キリストが処刑されるまでの年数が空白となってしまいます。

聖書の時代を描く映画

旧約聖書は天地創造からイエス・キリストが生まれるまでなので、紀元前の出来事が記されています。一方、新約聖書はイエス・キリストが生まれてからの彼の言動が福音として記されています。
それぞれのできごとを描いた映画が数多くある中で、ここでは以下の二作品を簡単に紹介しておきます。

「十戒」
旧約聖書にある、モーセがシナイ山で神から十戒を授かるまでを描く、歴史的な名作かつ220分に及ぶ大作です。モーセが神の力で紅海を二つに割って、そこを人々が渡っていくシーンはあまりに有名です。
監督のセシル・B・デミルは1956年のこの映画以前に、1923年にも「十誡」のタイトルで映画を撮っています。
この「十誡」は二部構成で、第1部はリメイクした「十戒」と同じくモーセがシナイ山で十戒を授かるのが描かれます。第2部は、このモーセのエピソードを1920年代に生きる兄弟が母親から聞いているところから始まりこそすれ、そのあとの展開はドロドロとした現代劇です。

「パッション」
イエスが磔刑されるまでの12時間に焦点を当てて描いた映画です。リアリズムを追求していて、鞭打ちや磔に至るまでも痛みが伝わるようです。セリフもラテン語とアラム語で話されています。
監督したのは「リーサル・ウェポン」シリーズなどの俳優としても知られるメル・ギブソンです。「マッドマックス」のイメージも強いメル・ギブソンですが、感動作「顔のない天使」アカデミー賞で監督賞を受賞した「ブレイブハート」など、監督としても力を発揮しています。
日本だとパッションは情熱と訳すことが多いですが、受難の意味もあって、「パッション」の原題は「THE PASSION OF THE CHRIST(キリストの受難)」です。

作品情報

原題:BARABBAS(1961)
監督:リチャード・フライシャー(Richard Fleischer)
出演:アンソニー・クイン(Anthony Quinn) シルヴァーナ・マンガーノ(Silvana Mangano)

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